第一回マジックエッセイコンクール結果発表

初開催のマジックエッセイコンクールでしたが、多くのご応募をいただき、応募してくださった皆様には大変感謝致します。
落ち着かない社会情勢の中、マジックを見る場所も演じる場所も非常に少なくなっています。そんな中、応募作品から語られるエピソードや思いの数々を拝読し、目頭が熱くなる事が多くありました。

結果はコンクールの開催趣旨には基づいたものの、私の独断での選考となります。皆様もぜひお読みいただければと思います。また、今回初めてエッセイコンクールを実施し、これは開催する意義があると実感しましたので、ぜひ次回も実施しようと思います。その際は今回応募された方もされていない方も、ぜひご応募いただければと思います。

※マジックエッセイコンクールの開催趣旨、応募要項等はこちらのページをご覧ください。

結果発表

鑑賞部門

最優秀賞

マジックが画面から目の前に現れるまでの話。

入選

あなたはマジックが好きですか?

きっかけ

FISMの向こうに見えるもの

演技部門

最優秀賞

ひと振りすると

入選

Rainforcement 人を勇気づける強化魔法

スタートライン

1964年のハーフダラー

ぼくはマジックがかり

“まさか!”は起こる

「おめでとう」のマジック

『努力の成果』10年後の自分へ

少年とマジック

人に話さずにはいられないマジックを目指して

父と紙袋

マジックでみんなを喜ばせる

大学生の頃,好きな女の子にカードマジックを見せたときの思い出

講評

簡単ではありますが、公開作品に関しては一言ずつ講評と言いますか、コメントを付けております。ほとんど僕の個人的な感想のような感じではありますが、若干のネタバレを含みますので、気になる方は各作品を先にお読みください。

「 大学生の頃,好きな女の子にカードマジックを見せたときの思い出 」作: YuMo
マジックをするとモテるのか? というのは紀元前から議論が繰り返されるテーマです。みんな薄々「マジックとモテるは関係がない」という事はわかっているのですが、それでも「もしかしたらマジックが失敗したイケメンより、マジックを成功させた自分の方がイケてるかもしれない」という謎理論を編み出してしまったりするものです。いや、それはもう希望というか、夢というか、祈りというか、そういったものを演じ手側がマジックに求めているのかもしれません。トザキマジックスクールは多くのマジックでモテたい男子を(女子も)応援しています。

「父と紙袋」作: Takuma
マジック、というものは誰が、いつ、どこで、誰に対して、どのように演じるかという事でまったく印象が異なってくるものなのだな、と感じさせられます。父親が演じた簡単なマジックが、その後に見たであろう一流パフォーマーの演技に勝ってしまう。ある側面において、マジックは芸術や芸能というよりか、むしろ食事や会話といった日常に近い要素があるではないかと感じさせられるエピソードです。

「 FISMの向こうに見えるもの 」作: (仮称)  Mr.ギミック
マジックの国際大会の運営側として奮闘されているMr.ギミック さんの文章です。単純にマジックを見るという意味での鑑賞ではありませんが、こうした内容こそもっと光が当たっても良いと個人的には強く思います。よくぞ書いてくださったという内容です。

「『努力の成果』10年後の自分へ」作:キッズマジシャンTAICHI
20年前くらいは僕もキッズマジシャンでした。あの頃、自分が憧れたり影響を受けたマジシャンやマジックを取り巻く環境を、今の自分達が後世の為に用意出来ているかとたまに考えます。孤高の天才のような人は自然発生的に出てくるのかもしれませんが、”たくさんの良いマジシャン”にはやはり環境が必要です。そうした中で、若いマジシャンが憧れる事が出来るマジシャン、交流出来るコミュニティ、目指せる目標がある事は大切な事ですし、僕らはそれらをちゃんと作っていかないといけませんね。

「マジックでみんなを喜ばせる」作:Uーsuke
若さ、は本当に素晴らしくて、僕達が年を重ねる事でどこかに置いてきてしまったものをまだまだ当たり前のように持っています。それらは今の僕には少しまぶしすぎるのですが、ずいぶんと曲がってしまった姿勢を正される思いです。10年後、20年後、この子達が大人になった時に何を残していけるか。真面目に考えていく必要がありそうです。

「 ぼくはマジックがかり」 作:Kou
こうした場での文章コンテンツにおいて、公表している要素以外をコメントするのはあまり好ましくないかもしれませんが、あえて言いますとこの文章の作者は8歳の男の子です。 その為、誤字もそのままで掲載しました。マジックが上手な兄を持つ弟が「マジックをやりたい」という事の尊さに心を打たれます。

「少年とマジック」作:Maricco
長くマジックに関わっていると、あまりにも周りにマジックが溢れていて、ありふれているように感じてしまう事があります。マジックは石ころではなく、キチンと磨けば宝石になりうるものだ、という事を教えてくれるのは自分以外の誰かだったりするものですね。

「 人に話さずにはいられないマジックを目指して」 作: プー博士
普段はついつい短絡的にその場が盛り上がればいい、見ている人がちょっと喜べばいい程度のものだとマジックを扱ってしまう事があります。しかし、意識するしないに関わらず見た人の世界を、生活を、人間関係を変えてしまう事すらあるパワーのあるものがマジックなのだ、という事を僕らはもっと意識しなければならない。襟を正されるような思いがします。

「きっかけ」作:tony
マジックを始めたきっかけというものは、意外と些細な事だったりしますね。もちろんその後に続くかどうかは人それぞれだったりはするわけですが、まずはきっかけがなければ始まるものも始まりません。

「おめでとう」のマジック  作: 万博
ハッとさせられる文章です。マジックを演じる、という事に対して、演じ手と鑑賞者以外にも、なんとも言い難い「場」というものがあって、演じ手も鑑賞者も「場」の要素として存在しているのだ、という新たな視点を手に入れる事が出来ました。「私」と「公」という事を考えた時、はたして公のマジックとは何か、というのはこれからの時代、特に大切になっていくのかもしれません。

「あなたはマジックが好きですか? 」作: ユキガタフミアキ
マジックの事を好きな人のある種の歪みのようなものを実にシンプルに表しているエッセイです。マジックという、ニッチでマイナーで高尚な趣味を持つ多くの人にとって、読みながら「わかるわかる」と頷くけれど、なんとも自分の恥ずかしい部分を見せつけられる、心地よい切れ味のある文章です。

「 人を勇気づける強化魔法 」 作:チーター
強烈な文章です。 マジックは簡単に魔法になりうるのだ、特に自分にとっては。という事を痛感させられます。小さな興味や好奇心から始めたはずのマジックが、いつの間にか自分の知識や思考、性格にまでべったりとまとわりついていく。多くの人にとって、マジックは人の為ではなく、自分の為にある事が多い。でも別にそれでいいのだ、と思います。確かに人を笑顔にするのにはマジック以外が有効な事も多い。それでも、人を笑顔にする為には「マジックがべったりとまとわりついている自分」が必要だったりする。それだけで十分にマジックは価値があるんだ、と思います。

「 ひと振りすると 」作:国語屋稼業
単純なエッセイという枠を超えて文学さえ感じさせる作品です。作者がグランドピアノのある部屋で一人クラッシュダイスを振るシーン。バラバラになった小さなサイコロを見ながら、果たして作者は何を思ったのだろうなどと考えると心が締め付けられます。最後にはマジックがコミュニケーションの道具として、新しい繋がりを生み出しそうな芽を見せて締める所など、構成も素晴らしい。

「スタートライン」作: みさわみき
マジックという文化は誰が支えているか、という問いに正確に答えるのは難しいですが、少なくない部分をマジックを職業としていない、アマチュアやパートタイムマジシャンが支えていると思います。みさわさんが書かれているようにマジックに触れる機会はまだまだ多くの人にとっては少数です。その機会を持つ一人一人がマジックに真摯に取り組んでいく事、これこそが遠回りなようでいて、実はマジックという文化を長期的に支える唯一の道なのかもしれません。

「 1964年のハーフダラー」作:Dewars
一夜のバーでの出来事。はたして騙されたのは誰だったのか。そんな、ちょっぴりミステリー要素さえ感じさせるオシャレな作品です。最近ではどんなマジックでも映像で簡単に見れる時代になってしまいましたが、文章だけで表現されるマジックの現象というものは、独特の味わいと素敵さがあるものですね。マジックは目ではなく脳を騙すもの、であるのなら、実はマジックの鑑賞方法として文字というものはイマジネーションを刺激する悪くない媒体なのかもしれません。

「“まさか!”は起こる」作:石神薫
舞台芸能と呼ばれる物の中で、お客さんを舞台に上げるというのは相当に珍しい行為です。以前に劇作家の三谷幸喜さんが「プロの役者の舞台にハプニングはありません」という意味の事を言っていた事がありましたが、逆にマジックの舞台ではハプニングが付き物です。ハプニングまで行かなくても、舞台に上がるお客さんによって、まるで別物のようになってしまう事がある。そう考えると、マジックの舞台こそ、繰り返しの鑑賞に堪えうるものですよね。”まさか”は結構起こるんです。

「マジックが画面から目の前に現れるまでの話。」作: えいちゃん
僕のようなマジックの世界にいる人間からすると、救いでもあり、痛烈なクレームのようでもある、 強く 心を打つ文章です。一人の女子大生がマジックに触れ、段階を踏みながら”こちら側”にマジックを鑑賞する立場としてやってくる話です。それはまるで冒険活劇のようです。冒険してくれる彼女のような存在を喜ぶべきなのか、わざわざ冒険しないと来れない場所に存在する我々を恥じるべきなのか。喜びと、申し訳なさを同時に感じさせられます。全ての”やる側”の方々、僕達はそろそろ立ち上がるべきなのかもしれません。