応募部門:演技部門
作: Takuma
あれは確か、僕が小学2年生で、夏の暑い日の夜、父と風呂に入っていた時のことだったと思う。
「あのさー、もし、今と違う家に住むことになったらどう思う?」
父が突然そう言った。
「えっ?そりゃ嫌だよ。友達とも離れ離れでしょ?」
「そうだよな。いや、実は、来年になったら家族みんなで引っ越しをする。仕事をする場所が変わるんだ。」
父は続けてそう言った。
「そうなんだ」
そう答えることしかできなかった。
引越しまでの数ヶ月は毎日憂鬱だった。
一緒に遊んでいた友達ともう遊べなくなる。
転校を経験した人には分かるかもしれないけれど、一生懸命積み上げてきたものが崩れるような、そんな気がした。新しい学校に行くということが、とにかく怖かった。
小学3年生になるタイミングで、僕は転校した。登校初日。緊張しながら自己紹介をして、席に着く。
外から来たものに対する、珍しいものを見るような周りの目。胃がキリキリする。あぁ嫌だ。これも全て父親の転勤のせいだ。
話下手な僕は、自分からクラスメートに話しかけられず、なかなか友達が出来なかった。
勉強が出来る。スポーツが出来る。ゲームが上手い。話が面白い。どれか1つでも才能があれば、きっとすぐに友達も出来ただろう。僕はどれもこれも苦手だ。
自慢するものがある人はつくづく羨ましいと思う。
転校してからしばらく憂鬱な日々が続いた。
そんな、ある日のことだった。
家族で夕食を食べていると、父が突然、果物か何かが入っていたであろう茶色の紙袋を取り出して、得意げな顔をして、「ちょっと見てみろ」と言う。
空の紙袋を持ち、さらにもう一方の手で空中から見えない何かを掴んだ。
それを紙袋に向かって放り投げると、ガサっと音がして、紙袋に何かが入る。
思わず、「えっ」と声が出る。
もう一度、おもむろに見えない何かを掴むと紙袋に向かって投げる。また何かが入ったような、ガサっという音がした。二つの何かが、確かに紙袋の中に入った。
さらにもう一度、そして何度も、ガサっと紙袋に何かが入る音がする。
僕はさっと父の元に駆け寄って紙袋を奪う。
中を覗いて、思わず「えっ」という声が出た。
何も入っていない…
たしかに何かが入る音がしたはずなのに…
もう一回やってとねだるが、何度見てもさっぱりわからない。
「お願い教えて!」
夢中になり、父にねだる。
「しょうがないな、カンタンさ、紙袋を持つ手の親指と中指で、指を鳴らす要領で袋を弾いてるんだ。空中からつかんで、紙袋に向かって投げるタイミングで、袋を指で弾く。
そうすると、紙袋に何か入ったような音が出るんだ。面白いだろ?やってごらん。」
なんだ、そんなことか…
聞けば単純な話だ。
ただそれだけのことに目を輝かせた自分が恥ずかしい。でも、とにかく不思議だった。その日は一日中、鏡の前で練習した。
「よし、学校でやってみよう。」
鏡の自分に向かってそう言った。
覚えたら、誰かに見てもらいたくなる。しかもこれなら喋る必要もない。
翌日、勇気を出して何人かのクラスメートの前に立ち、おもむろに紙袋を取り出す。
「これ昨日父さんから教わったんだけど…」
これが人生で初めてマジックを演じた瞬間だ。
あの時のクラスメートの反応は今でも忘れられない。
「うぁー、すげー、なんで?ふしぎ!」
「教えて!俺もやりたい!」
皆が昨日の僕と同じリアクションをする。
なんだかヒーローになった気分だった。
学校に行くのが楽しみになったのはその日からだった。
友達が出来て、大袈裟じゃなくそこから僕の人生が変わった。紙袋一つで。
マジックってすごい、そう思った。
ーーーー
つい最近、お酒を飲みながら、そのことを父に話したが、俺そんなことしたか?覚えてないなぁの一言。
いやいや、あの時の、あのマジックがあったから、友達が出来たんだ。
たぶん、いや、間違いなく、あの日の紙袋のマジックが無ければ、次の日、友達に見せていなければ、僕は全く違う人生を歩んでいたに違いない。まさに僕にとっては魔法のような出来事だった。
ほんの些細な、他の人からしたら、大したことのないちょっとした日常の出来事が、大きく人生を変えることがある。
あの日からマジックが好きになり、今日までたくさんの不思議なマジックを見てきた。
そして、きっとこれから先も、多くの素晴らしいマジックを見るに違いない。
でも、もし仮に、「今まで見た中で一番不思議なマジックは?」と聞かれたら僕はきっとこう答える。
「親父の紙袋を使ったマジックかな」と。