スタートライン

応募部門:演技部門
作: みさわみき

 小学三年生の時、初めてマジックに出会った。
 それから34年も経った今、初めて「テーブルホッピング」の現場に立っている。

 特段器用でもない私がマジックに惹かれたのは、元々オカルトめいた世界に興味があったという素養のせいだろうと思っている。

 どう考えても脱出不可能な水槽からの生還。
 なんの支えもない空中に、人体が浮き上がる。
 物が、人が、動物が、瞬時に消えたり現れたり、時には瞬間移動する。

 超常現象や特殊能力が存在しなくとも、ブラウン管の向こうで理解の範囲を超えた不可思議な現象が起こる世界に、あっという間に魅了された。

 子供向けの手品の本を買ってもらい、自分にできそうな作品を厳選し、家にある日用品をかき集めて、慣れない解説書と格闘しながらああでもないこうでもないと必死に練習したのを今でも覚えている。それほどまでにマジックとの出会いは強烈だった。
 もちろん、最初から上手くいくわけもなく、とりわけ同級生である小学生の目は厳しいため(ここは今でも痛切に感じている)、失敗やネタバレを指摘されて心が折れたことも一度や二度ではなかった。それでも、辞めずに細々ながらも長い間続けてこられたのは、数少ない成功体験を地道に積み重ねてこられたからだと思う。
 自分の周囲の人々が、楽しんでくれて、笑顔になるのを見るのは本当に嬉しかった。

 家族や親戚の集まりから始まり、クラスのお楽しみ会、文化祭・学園祭、社内の飲み会やイベントなど、年齢を重ねるごとに変わる環境の中で拙いマジックを披露することはたまにあったが、観客となる相手は基本的にクローズドであり、そこに安心感というか甘えがあったことは否定しきれない。
 そんな小さな世界で過ごしてきた自分にとって、大きな転機になったことが二つある。その一つが「SNSを通じて出会った、愛好家との動画のやり取り」だ。

 今となっては当たり前になったYouTubeや各SNSでの動画公開も、15年ほど前はまだ回線速度や環境が一般に整っていなかったこともあり、今ほど活発ではなかったと思われる。
 そこで知り合った同好の士は、博覧強記を地で行く猛者がゴロゴロいて、実演動画がなくともその知識経験を推し量ることは容易であり、いかに自分が矮小な知見でマジックに触れてきたのかを痛感させられた。
 きちんとした指導者につかず、我流で突き進んできたがために疎かになっていた基礎を一から叩き直す決心をしたのも、この頃だった。

 そして昨年、もう一つの転機が訪れた。 かつてよく食事に訪れていたレストランのオーナーが、別のイタリアンのお店で働いているところへ偶然に再会したのだ。少し昔話に花を咲かせたのち、こう声をかけられた。

「まだ、マジックやってらっしゃるんですか?」
 ――はい、細々とですが。
 そう答えた私に、オーナーは続ける。
「もしよかったら、一度ここでお客様に披露してみませんか?」

 趣味として、アマチュアとして活動してきた自分にとって、まったく見知らぬ第三者に向けてマジックをすることはそうそうない機会だ。不安と緊張と少しの楽しみが入り混じった気持ちで、最も自信をもって演じられるカードマジックを見せてみた。

 驚嘆と、喝采が沸き起こった。

 正直、こちらもびっくりした。プロとして活動しているわけではない自分のマジックが、そこまで驚きをもって受け入れられるとは想像もしていなかったから。
 ただ、そのお客様の笑顔を、声を、拍手を浴びて、唐突に確信めいたものが舞い降りた。

 ああ、これは昔の「私」だ。
 小学生の頃に体験した、あの「奇跡を目の当たりにした感動」を、今度は私が体現したのだ、と。

 今は、件のイタリアンレストランで、仕事の傍らテーブルホッピングを行っている。
 食事のアクセントに、と気軽に見てもらえるスタンスで、お客様の目の前で小さな小さな奇跡を起こしている。
 マジックを観たくて、ショーやバーなどに足を運ぶ方はまだまだ少数派だと思っており、また一度もマジックを見たことのない方もたくさんいらっしゃるはずで、その両者の架け橋になれれば、こんなに嬉しいことはない。
 そして、かつての自分のように、この世界に魅せられる人が一人でもいれば…。
 そんなことを夢想しながら、40歳半ばにしてようやく辿り着いた自分なりのスタートラインから、ゆるゆると歩みを進めている。